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お 詫 び

 昨年末より当山のパソコンが使用不能になり、いまだ一部復帰しておりません。
皆様には、新年の御挨拶もできず、申し訳ございません。復旧できたものより順次開いておりますが、完全復旧にはもう少し時間がかかるものと思われます。
 何かとご不便、御迷惑をおかけいたしますが、なにとぞご理解いただき、今後もお引き立てのほどよろしくお願い申し上げます。       合掌

常光院 山主




最終更新日:平成22年1月29日





『まごころ・信心・洗心』

 他の人の為に尽くそうとする純粋で美しい心を「まごころ」と言いますね。まごころを漢字にすれば「真心」となり、これをシンシンと読めば、仏・菩薩の持つ慈悲の心即ち仏心を指します。一方、マコト(真)ノココロ(心)と読んで更に縮めればマコトゴコロ→マゴコロとまごころにもどります。また、まことの心と言えば、浄土真宗では「信心」の字をあて、凡夫が阿弥陀さまの真実心を領受したものをさします。領受すれば同じ心ですから、仏心も信心も真心も同じものを違う角度から指し示したものと言えましょう。

 なんだかわかったような、わからぬような話になりましたが、仏さまと私達の間や私達お互いの間に「まごころ」を通わせることが大切ですね。まごころを通じあわせるには、お互いの心がきれいでなくてはいけません。

 しかし残念ながら、私達凡夫の心は、煩悩という塵芥にまみれ、それが絶縁帯となってお互いに通じあわないのが現状です。
 そこで常に心をきれいにしておくよう心がける必要があります。私達が何か美しい光景に出合った時、心洗われる思いをすることがありますが、自分から積極的に心を洗ってきれいにする姿勢が望まれますね。心を洗うことを「洗心」と申します。
 洗心ということばはよく知られたことばですが、今のところ国語辞典を引いても出ておりません。洗脳や洗礼が出ているのに洗心が無いとは変な現象だと感じましたが、そのうち辞典にも取り上げられるでしょう。

 とにかく、自分で洗心して、仏さまや皆様と、まごころがうまく通じあうようにしておくことに致しましょう。心にたかる塵・芥・垢を離せば、そのまま仏に成れるというものです。洗心法は念仏や座禅・読経などたくさんありますから、自分にあった方法でトライなさればよいのではないでしょうか。
合 掌

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